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読んだ本の感想あれこれ。
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発行年月:2023年6月


生と死、そして性を描く濃密な短編集
過ぎてみれば、全部、どうってことなかった――
日々老いを感じつつ山裾の町で暮らす絵本作家の雪代。ある日やってきた植木屋の青年に興味を惹かれ話をしてみると、彼が結婚を望む恋人は、還暦を過ぎた現役の風俗嬢だという――。
生と死、そして性を描き、人生を謳いあげる短編集。名手がつむぐ至高の7作。

                 (文藝春秋HPより)


7つの短編、それぞれがいい。
身近な人の死があって、自身の生き方をふと思ったり・・・

若い時にはたぶん、感じなかった気持ちがここにある。
「死」を身近に感じるようになって今、生きていることの大切さとか
過ぎてしまったことを貴重な体験だったなと懐かしむとか。


話のなかには、ちょっとホラーっぽいものもあるけれど
ああ、そういうこともあるかもね・・・・と思える。


表題作は一番最後。
両親が長年住んだ家を相続して、46歳の独身の娘とくらす72歳の雪代。

庭の手入れに来た長年の付き合いの造園会社の末っ子・大樹(26歳)との会話は
ビックリする内容だった。
風俗で知り合った64歳の女性と結婚したいという。
興味本位で話を聞く雪代がなんだかチャーミングですてき。


時間をおいて、また読み返したい短編集。



                      ★★★★★
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発行年月:2022年7月

彼女の愛が、 私の人生を狂わせた――。幻想怪奇小説の到達点。
怯え続けることが私の人生だった。
私は今も、彼女の亡霊から逃れることができないのだ。
1978年、悦子はアルバイト先のバーで、
舞台女優の夢を持つ若い女・千佳代と出会った。
特別な友人となった悦子に、彼女は強く心を寄せてくる。
しかし、千佳代は恋人のライター・飯沼と入籍して間もなく、
予兆もなく病に倒れ、そのまま他界してしまった。
千佳代亡きあと、悦子が飯沼への恋心を解き放つと、
彼女の亡霊が現れるようになり――。

                   (角川書店HPより)


悦子と千佳代は、26歳で同い年。
悦子のアルバイト先のバーの常連・フリーライターの飯沼の連れとして
店に来て、知り合い、その後、親しくなり家にも遊びに来るように。

飯沼と千佳代は結婚するが、間もなく、病死。

バーのママ・多恵子は、以前、飯沼と付き合っていたが今が他に恋人がいる。


千佳代が亡くなってから、悦子は千佳代の姿を時々、見る。
店で多恵子といるときも二人でそれらしき姿を見たことも。
千佳代は、ただ黙って座っているだけ。
不思議なのは、飯沼の元には姿を見せないこと。

やがて、多恵子も原因不明の体調不良から亡くなってしまう。

この頃が一番、悦子も千佳代に対して恐怖を感じていたのでは?
次は自分が同じように命を落とす番だと思ったり・・・
でも、悦子は飯沼との距離を縮め、二人は恋人同士になり結婚。
そのころから千佳代の姿をみなくなる。
もしかして許してくれたのか?とホッとしつつ生活して月日が流れ
悦子42歳。飯沼52歳の年、飯沼が不倫(相手も既婚者)。
その相手が運転する車に同乗していたとき、交通事故死する。

そして、再び、千佳代が姿を見せる。


ゾゾ~ッ(ノД`)・゜・。

千佳代は、悦子に執着して、この世に留まっているということか?
悦子は、ずっと千佳代と共にこの先も生きていくということ?

特に危害を与えるわけでないのなら、それも受けいれて静かに生活して
行けばいいだけなのかなぁ~?


不思議な話だけど、一気読みさせる面白さはあった。


                      ★★★


発行年月:2022年6月


昭和三十八年、三井三池炭鉱の爆発と国鉄事故が同日に発生。「魔の土曜日」と言われたその夜、十二歳の黒沢百々子は何者かに両親を惨殺された。なに不自由のない家庭に生まれ育ち、母ゆずりの美貌で音楽家をめざしていた百々子だが、事件は重く立ちはだかり、暗く歪んだ悪夢が待ち構えていた……。著者畢生の書下ろし大河ミステリ。

                 (新潮社HPより)



昭和38年の11月9日にふたつの大きな事故があり、この物語の冒頭の事件も
その同じ日に起きている。

そのためか、最初から最後まで、凄い緊迫したリアリティを感じた。
冒頭の事件では、ある夫婦が殺害される。
犯人は、少し読み進めれば、わかる。
では、なぜ?そうしなければならなかったのか?と疑問を抱えながら読み進め
犯人の一途過ぎる思いがなんとも辛い。

犯した罪は大きいけれど、不思議と嫌悪感みたいなものは感じなかった。

両親を殺された百々子は、当時、私立の裕福な家庭の子が多い学園の初等科6年で
事件の日は、学校の1泊2日の合宿に出かけていた。

百々子を支えたのは、当時担任だった美村。事件を知り、合宿先から百々子を
東京まで送り届け、その後も何かと気遣う。

百々子の両親が懇意にしていた家政婦の石川たづと多吉夫妻が、百々子を預かり
日常を共にする。
その家の子どもの長男・紘一、長女・美佐も百々子の良き話し相手となる。



ここからネタバレ含みつつ・・・

一番、百々子のことを心配していたのは、百々子の叔父(母親の弟)・沼田左千夫。
彼は、百々子を最初に見た時から、百々子のことしか感がえられなくなっていた。
叔父という立場から見れば、異常でしか、ないけど、その想いは純粋で
百々子に自分から触れることもなく、精一杯、自制していた。

そのことが、姉夫婦を殺害することになってしまったのは、左千夫自身も
本意ではなかったと思う。
万全に隠し通すべきだった思いを姉に知られてしまったのは、偶然だった。
思いを目に見える形で残すべきではなかったとは思うけれど・・・
一人暮らしの寮の管理人(妻)が親切心で姉を留守宅に入れたために
知られてしまった。

姉に強く非難され、追い詰められてしまった。


百々子が両親を殺害した犯人が、いつも優しかった叔父だと知り、ショックで
その後は強い憎しみと嫌悪感を抱くのは当然だと思う。
けれど、60歳を過ぎた百々子が、過去のことを思い出し語る終盤では、
叔父に対して、少し違った思いを語っている。
そこには、憎悪よりも憐れみの気持ちの方が勝っていたと思う。
そのことに、少しホッとした。

左千夫の最期が、本当に辛そうで、胸が痛くなるものだったから。
こんな風にしか、生きられなかった左千夫に、憐れみの気持ちでいっぱい。
泣ける・・・(ノД`)・゜・。



小池さんは、これを書くのに10年という歳月がかかったそう。
その10年の間には、自身がケガをしたり、お母様が病気で亡くなり、
ご主人も闘病生活の末、亡くされたとか。
ご自身の生活も大変なときに、このような凄い物語を書き上げたのは
本当に、凄いとしか言いようがない。

色々な作品を読ませて貰ったけれど、間違いなく、一番の作品だと思う。


                     ★★★★★



発行年月:2021年11月


「年をとったおまえを見たかった。見られないとわかると残念だな」(「哀しみがたまる場所」)
作家夫婦は病と死に向きあい、どのように過ごしたのか。残された著者は過去の記憶の不意うちに苦しみ、その後を生き抜く。心の底から生きることを励ます喪失エッセイの傑作、52編。
◯本文より
あと何日生きられるんだろう、と夫がふいに沈黙を破って言った。/「……もう手だてがなくなっちゃったな」/私は黙っていた。黙ったまま、目をふせて、湯気のたつカップラーメンをすすり続けた。/この人はもうじき死ぬんだ、もう助からないんだ、と思うと、気が狂いそうだった。(「あの日のカップラーメン」)
余命を意識し始めた夫は、毎日、惜しむように外の風景を眺め、愛でていた。野鳥の鳴き声に耳をすませ、庭に咲く季節の山野草をスマートフォンのカメラで撮影し続けた。/彼は言った。こういうものとの別れが、一番つらい、と。(「バーチャルな死、現実の死」)
 たかがパンツのゴム一本、どうしてすぐにつけ替えてやれなかったのだろう、と思う。どれほど煩わしくても、どんな忙しい時でも、三十分もあればできたはずだった。/家族や伴侶を失った世界中の誰もが、様々な小さなことで、例外なく悔やんでいる。同様に私も悔やむ。(「悔やむ」)
昨年の年明け、衰弱が始まった夫を前にした主治医から「残念ですが」と言われた。「桜の花の咲くころまで、でしょう」と。/以来、私は桜の花が嫌いになった。見るのが怖かった。(「桜の咲くころまで」)
元気だったころ、派手な喧嘩を繰り返した。別れよう、と本気で口にしたことは数知れない。でも別れなかった。たぶん、互いに別れられなかったのだ。/夫婦愛、相性の善し悪し、といったこととは無関係である。私たちは互いが互いの「かたわれ」だった。(「かたわれ」)
●近年、稀にみる圧倒的共感を得た朝日新聞連載の書籍化

                   (朝日新聞出版HPより)



ご主人の作家・藤田宜永さんは2020年1月30日に肺がんのため亡くなられた。
ニュースを知ったときは、びっくりした覚え。
まだ69歳だったんですね。


夫である藤田氏との出会いから結婚まで、結婚後の二人の生活の様子などが
窺えて嬉しかったけれど、そこには今はもう居ないという寂しさも
感じられた。
本当に良い夫婦関係だったんだなぁ~。


東京から長野の森のなかに居を移して自然を感じながらの日々の暮らしは
静かで居なくなった人のことを思い出しながらは、寂しく心細い
だろうな・・・。
特にコロナ禍でもあり、人にも容易に会えないし。

それでも執筆中に作品を完成させたのは、凄い!

最新刊「神よ憐みたまえ」も楽しみ。


美しい小池さんの言葉でいっぱいの1冊だった!
表紙の絵も凄くステキ!

この本を読んで同じ心境の人はきっと癒されると思う。




                         ★★★★★



発行年月:2018年3月


 文藝編集者として出版社に勤務し、定年を迎えたあとはカルチャースクールで小説を教えていた澤登志男。女性問題で離婚後は独り暮らしを続けているが、腎臓癌に侵され余命いくばくもないことを知る。
人生の終幕について準備を始める中、講師として彼を崇拝する若い女・樹里は自分の抱える闇を澤に伝えにきたが-―
激情に没入した恋愛、胸をえぐるような痛恨の思いを秘めて皮肉に笑い続けた日々。エネルギーにあふれた時代を過ぎて、独りで暮らし、独りで死ぬという生き方は、テレビで繰り返し言われるような「痛ましく、さびしい」ことなのか。
ろくでもない家族でも、いさえすれば、病院の付き添いや事務処理上の頼みごとができて便利なのだろうか。生きているうちから、人様に迷惑をかけないで孤独でない死を迎えるために必死に手を打ち備えることは、残り少ない時間を使ってするようなことだろうか。

プライド高く、理性的なひとりの男が、自分らしい「死」の道を選び取るまでの内面が、率直にリアルに描きつくされる。
人生の幕引きをどうするか。深い問いかけと衝撃を与えてくれる小池真理子の真骨頂。『沈黙のひと』と並ぶ感動作。


                        (文藝春秋HPより)





末期がんで余命短い、澤 登志夫(69歳)。

小説講座の講師を引退。
講座を受けていた宮島樹里(26歳)。

若い頃は、女性問題などあった澤だけど、樹里に対しては始終、理性的。
特殊な過去の体験を持つ樹里。
以前、提出し、澤から褒められた作品は、実話だという。

2人は変に親密になったら興ざめしたけど、良い感じの距離感を保ったままで
終わって、良かった。

澤が選んだ最期は、皆が出来る物じゃないから、これを読んでもすぐ真似する
人は居ないと思うけれど、自死はやはり誰かしらに迷惑かけるからなぁ~。


でも、こんな風に苦労して自分の望む死に方を演出しなくてもいいような
終わり方が誰にでも選べるようになったらいいのにな。


物語のなかで出て来る アルノルト・ベックリンの「死の島」。
検索して観てみた。
なるほど・・・暗くて寂しい絵だけど、ずっと見ていても飽きない
不思議な魅力のある絵だった。

この表紙の絵も、雰囲気あって悪くないけれど。


人の死を扱う物語だけれど、澤の淡々と自分の最期を演出していく姿は
なんだか哀しいけれど、心に響いた。




                       ★★★★
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台所、居間、パソコン室、一日中、本を片手にあちこち移動しながら、読書しています♪

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★★飛ばしつつ一応最後まで目を通した
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