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読んだ本の感想あれこれ。
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516ncsfRg3L__SL500_AA300_.jpg発行年月:2012年8月

日本史上、もっとも不名誉な“仕事”を買って出た男-----降伏文書への調印を行ない、戦犯になったことで、不当に低い評価を受けている昭和の外交官・重光葵を描く長篇小説。

 1931年、駐華公使だった重光葵は上海で爆弾テロに遭い、右脚を失う。そこからの彼の人生は苦難の連続であったが、目の前に立ちはだかる“階段”を重光はひたすら登り続けた。

 外交の第一線に復帰した重光は、日中戦争を終結させて孤立する日本を救おうと奔走するも、対米英戦争へと突入してしまう。外務大臣となった彼は大東亜会議を実現する一方で、戦争終結に向けて動いたが、戦局は悪化の一途を辿った。

 敗戦直後に再び外務大臣となった重光は、誰もが尻込みする降伏文書に調印する役目を引き受け、マッカーサーとの交渉も成功させる。戦犯として服役後には外務大臣となり、国際連合への加盟という大仕事をも成し遂げたのだった。

 重光葵の激動の生涯を掘り起こして光を当てた力作。


                                           (PHP研究所HPより)


日本のためにこんなに尽力した人なのに、名前しか知らずにすみませんと言いたくなった。
幼いころは貧しく、それでも漢学者として世間で認められていた父からは多くのことを学び、学力は秀でたものがあり、両親は息子たちのために大金を土地の権力者から借り高校進学をさせてくれた。
そして、父親は「これからは漢学でなく外国語を身につけて先々は海外に出て行け」と言っていた。

そして、兄を追って自分も東大に進学し、卒業後、外交官試験に合格。
すぐにベルリン赴任を命じられる。
そして駐華大使としての公務中、命を狙われる。
片足を失うことになったが命は助かった。
でも、それからが過酷なリハビリ。
挫けそうな心を支えたのは、外交官としてまだまだやらなければならないことがあるという思い。
そして、同じように片足を失った後も偉業を成し遂げた大隈重信を思い、自分も負けてたまるかと奮起する。

日本は中国に侵攻し、満州に鉄道を作り、街を繁栄させていった。
そこには多くの日本人も移り住んでいた時代。
日本に侵略されたと恨む中国人もいるが、繁栄させた力も大きかった。

幼いころから漢学者であった父から
日本は太古の昔から中国から文化を取り入れてきた。
彼らの中華思想の誇りをこちらは理解しなくてはうまく付き合っていけないと言われていた。

だからか、片足を奪った中国人を芯から恨めない。


その後、イギリスでチャ-チルと、第二次世界大戦は避けなければならない。
アメリカを戦争に巻き込むの避けなければと共通の考えで話し合うが・・・・・
思い通りにいかずに、その回避しなければと言ってた事態に物事は進んでいってしまう。

もはや自分が留まる意味がないとイギリスを去る重光葵の心中を思うと泣けてきた。
そして第二次世界大戦突入。
アメリカを敵側にして戦わなければならない事態に。
軍の上層部も政府もやりたくないけれど仕方ないという状態だったのか?と考えるとそのために
命を落とした国民は・・・・・と本当にやりきれない気持ちでいっぱい。

終戦を迎えると、そこからも苦悩の日々。
天皇を戦争責任から回避させるためにマッカ-サ-とも交渉。
日本における天皇の存在意味を説く。
それにより天皇の戦争責任は問われず済んだが
重光自身も戦犯として捕らえられ禁固7年の刑。

4年半で仮釈放となってからは政界からの誘いを受け入れ政治家としての生き
日本の国際連合加盟を目標に奔走し、成し遂げた。

亡くなったのは大役であった連合加盟を果たして約1ヶ月後。
狭心症発作のため。

自分のことは二の次にここまで日本の将来を思って行動し大きな成果を挙げた人物だと知ると
頭が下がる。

今の政治家にもこんな志の人が沢山いてほしいなぁ~。

植松さんの小説はいつも読み応えがあり、勉強になります。
(毎回、書いてる?^^;)



 

★★★★★

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51bJOBY-n2L__SL500_AA300_.jpg発行年月:2009年12月


病床の父と二人の弟を抱える極貧生活の中、
少年は将来を見据えてひとつ、またひとつと誓いを立てる----
武家・農村復興に並外れた手腕を発揮した二宮金次郎(尊徳)若き辛苦の日々



                         (中央公論新社HPより)



名前は、おそらく誰でも知っている人。
でも何をしたか?改めて問われると・・・・。

早春録ということで、幼い頃から成人したあとくらいまでが丁寧に描かれている。
5歳のときに大水で死ぬ思いを経験し、その後も小田原の村は、大水で田畑の大部分が流されてしまい、村人たちは米の収穫も出来ない窮地に立たされた。

貧しかった家で、父親が病死、その後、母親も病死し、まだ乳飲み子の末っ子の弟を抱え、長男である金次郎は大人並みに働く。
伯父の家で面倒を見て貰うのだけど、父が遺した書物を読むにも油を無駄使いするなと窘められ、何かと衝突。
そんな金次郎に村の名主・岡部伊助が自分の家で奉公したらよいと声を掛けてくれる。

最初の奉公先である岡部家で、その妻・お佐久から節約術を学んだことが、後の金次郎の出世の手助けになる。
『積小為大』の教え。



田畑を大水から守るには、放水路による治水が必要・・・でもそれには膨大な金がかかる・・・小田藩にはその金がない。

成長した金次郎は、藩の経済再建にまで関わっていく。
小さなところからコツコツと無駄を省き、お金の収支を明らかにし、出る金が少なくなるように。


そして、荒廃した農地の開拓にも力を注いでいく。

全て幼い頃に、自分に関わった人から学んだこと。

70歳で亡くなるまで、人々のために働き続けた人。
その殆どが苦労の連続。

最初の妻には、自分の志が理解して貰えず、辛い思いもした金次郎だけど、二番目の妻に支えられ迷いながらも自身の志を通し続けた。
正に達成の人!!


凄い人だなぁ~。


植松さんにまた勉強させていただきました。


★★★★


 
 
51cJUp1DQOL__SL500_AA300_.jpg発行年月:2011年12月

幕府海軍の最期。少年士官たちの箱館戦争を描く、書き下ろし歴史小説。



新政府に抗した旧幕府方は、榎本武揚のもと箱館に結集した。旧幕府海軍の佐々倉松太郎ら若き浦賀衆たちもこれに加わるが、開陽丸は沈没、新政府軍が箱館に迫る。歴史小説の気鋭が描く、少年たちの箱館戦争とその後。

                                         (角川書店HPより)


大政奉還、徳川幕崩壊。

幕府の海軍に属していた浦賀衆たちは、恭順を示した徳川の意に従う諸藩とは別に、自らの武士としての力を示そうと榎本武揚のもとに結集。
そこには、かつて幕府海軍として海陽丸に乗っていた、朝夷正太郎、三郎、佐々倉松太郎、
中島恒太郎、英次郎などの若者もいた。

佐々倉松太郎と中島恒太郎は、家が近く幼い時からの友。
松太郎の父・桐太郎はかつて太平洋を横断したが、肺病を患い家督を松太郎に譲っている。
恒太郎の父は、現在隊長を務め、桐太郎とも厚い信頼関係がある。

物語では、新政府軍を敵にまわす形で戦いを続けることになった者たちが、箱館で五稜郭を築き、そこで戦いに挑む姿を描いている。
歴史的に言うところの箱館戦争ということらしいが、あまり知らなかった^^;


そこで命を落とすことを使命のように感じている若者達の想いが切ない。

そして、一緒にこの地で死のうと誓いあいながら、生き延びた佐々倉松太郎のその後。

生き延びたことを恥と思う当時の考え方。
生きて帰ることの辛さ。

しかし、その後、松太郎は浦賀に造船所を造ることに決め、その計画を実行する。


植松さんの歴史物語は、読みやすく、よく知らなかったことを学ばせて貰ってとても勉強になります。
壮絶な戦いのなかで、生き延びた若者が、苦悩しながらも生きた物語としても感動しました!


                                     ★★★★★

 
51bsf46ABaL__SL500_AA300_.jpg発行年月:2011年9月

徳川家康の子に生まれ、11歳で人質として豊臣秀吉の養子となった於義丸――二人の天下人に命を弄ばれた男が見た覇権の真実とは。
福井藩祖となった結城秀康の波瀾万丈の生涯。



                     (中央公論新社HPより)




ちょっと表紙の絵で引いたのですが・・・^^;
大河ドラマ「江」も見ていたし、徳川家康の次男として生まれた「秀康」に興味があって読んでみました。
長男・信康は悲劇的な切腹で生涯を閉じ、三男・秀忠は大河ドラマ「江」では向井理くんが演じ、家康の後を継いだのは知っていましたが・・・この「秀康」については殆ど知らず、読みながら、こんな波乱万丈の人生を送った人だったんだぁ~とわかりました。

生まれたときから、父親とは離れた場所。
三歳で初めて長男・信康の働きかけでやっと父・家康と会うことが出来た。
しかし、父に愛されているという実感を持てぬまま成長していきます。

11歳から6年間は豊臣秀吉の養子(人質)として豊臣家で暮らしました。
いつ命をとられるか?最初の頃こそ、いつ命を取られるか?緊張の日々を過ごしたけど、案外、秀吉や茶々、秀吉の母・仲とも仲良くしていた様子は、ちょっと心が和らぎました。
そして、17歳で結城家へ。

まつりごとの道具に使われている秀康ですが、こんな自分が役に立てるのならと思い命令に従う。

賢く、心優しい青年像で、こんな人が家康の子どもであったのなら、徳川の跡継ぎにふさわしいのに・・・なんて思ってしまう。

豊臣家に居たとき、仲や茶々から徳川と豊臣の絆となって欲しいと期待されたことも果たそうと、秀吉亡き後、命を追われる石田三成を匿ったりもし、なんとか命を救おうと努力した。
豊臣家が一大名として存続できるよう家康に頼んだりもして・・・

しかし、全て叶わぬ結果になってしまう。
父・家康に対して不満感を抱きつつ自分の力の無さを憂いたり

秀康は34歳という若さで病死してしまうのだけど、死ぬ間際に「私が死んだら父は嘆いてくれるだろうか?」と言う言葉にジ~ンと。

亡くなった後、その言葉を家康が聞き、涙を流した場面にもジ~ン。

まるで大河ドラマを読んでいるようなお話でした。

物語なので、著者独特の解釈は入っているでしょうけど・・・・
なかなか良い物語でした。

登場人物たちを極めて好意的に描いているので、みんなそれぞれの考えがあってしたことで、残酷だったり不可解な決断にも断腸の思いがあってのことと読める。

家康の忠臣と言われる石田数正についての解釈も独特で今までの認識を覆すようなものだったけど、なるほど・・・家康から秀吉に鞍替えしたのには、そういう理由だったのか?と納得出来るものだった。

文章が読みやすく、物語としても面白かった。
この著者のほかの書も読んでみたくなった!



 

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