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読んだ本の感想あれこれ。
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発行年月:2020年1月

冬枯れの中、真っ先に咲く花とならん――
 新5,000円札の肖像で話題! 津田塾大学の創設者・津田梅子と、その父・津田仙の波瀾の生涯を描いた感動作。
 佐倉藩士として生まれた津田仙は、幕府通詞として福沢諭吉らとともにアメリカへ派遣されるなど将来を目されていたが、幕府瓦解後は西洋野菜の栽培などを手掛けながら、日本の農業の改革を志していた。自身の夢を託すべく、男子の誕生を待ち望むも、生まれたのは女の子で、仙は子供の名前も付けないほど落胆する。やがて、仙は開拓使長官・黒田清隆に呼び出され、出仕することに。そこで女子留学生を渡米させる計画を聞いた仙は、聡明さの片鱗を見せていた、わずか6歳の娘・梅子を推薦する。
 日本初の女子留学生として、最年少で渡米し、17歳で帰国した津田梅子だったが、すでに日本語を忘れており、日米の文化の違いや周囲との軋轢、そして父との葛藤に悩むことになる。
 山川捨松や伊藤博文らと交流を結びながら、苦闘の末、女子教育の先駆けとなった津田梅子と、その父の人生を描いた感動の歴史小説。

                    (PHP研究所HPより)



津田塾大学の創設者・津田梅子は、有名なので、多少、知っていましたが
その父親・津田 仙のことは、今回初めて知りました。

農業の発展のために尽くし、自らも留学経験を持ち、
その時、みたアメリカの農場を真似て、持ち帰った種からアスパラの栽培、
缶詰を作ることを試みる。

これからは、やはり女子も留学して多くを学ばなくてはと
まだ8歳の次女・梅を初の女子留学生として渡米させると決めたのも凄い
けれど、行くと決心した梅も凄い。
他のメンバーも後に、偉大な功績を残すことになる。

梅のほかには
・永井繁(11歳)
・山川捨松(12歳)
・上田悌(17歳)
・吉益亮(15歳)

10年間の留学予定であったが、上田悌は精神的に参ってしまい早くに帰国。
吉益亮は、視力を殆ど失い、帰国し手術を受ける。

それでも、上田悌も吉益亮も、帰国後は、それぞれ英語の勉強に励み
留学当時から皆で「女子教育のための」をモットーに学校で英語を教える立場に
なっていく。


捨松が「女性は誰かの妻にならないと何もできない」とかなり年上の
薩摩藩重鎮のひとり、大山巌と結婚したのも凄い。
3人の娘を遺し先妻は病死し、その後妻に。
でも、そのおかげもあって、後の梅子の学校創設には、力になって貰えるの
だから、捨松の先を読む力は見事。

梅は、生涯、女子教育の発展に力を注ぎ続けた人だったんだな~。
縁談も断って・・・


こういう人たちのおかげで日本の女子教育は進んできたんだなと
思うと、本当に偉人だわ~。
お札になって当然の人。


今回も読みごたえありました。
植松さんの作品は、勉強になります。



                    ★★★★★



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