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読んだ本の感想あれこれ。
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発行年月:2024年8月


明治初期、近代国家としてスタートしたばかりで、東洋の小国に過ぎなかった
日本にとって、国際的地位の向上は急務だった。
 公家の娘として生まれた榮子(ながこ)は、岩倉具視の長男に嫁ぐものの、
若くして死別。最後の佐賀藩主で侯爵、外交官だった鍋島直大と再婚し、
その美貌と気品で「鹿鳴館の花」と讃えられるほど、外交面で活躍する。
 しかし、鹿鳴館外交は条約改正に至らず、榮子は自分の役目を模索し――。


                (PHP研究所HPより)




鍋島榮子(ながこ)・・・・日本赤十字社のため尽力した女性という認識しかなかったので

その人柄などがよくわかる本書はとても興味深く読んだ。

最初の結婚は、岩倉具視の長男・具義の元へ嫁ぐが病に倒れ、看病の日々。
自身の辛さを妻にぶつけ、榮子は苦労の日々。
義父の岩倉具視もその娘・極子も離縁してもいいと言うのだけど
最期のときまで看取る。
その後、岩倉具視のすすめもあり、鍋島直大と再婚。
鍋島は九州佐賀藩の藩主で妻は病死し、外交官として社交の場に出るのに
夫人の同伴が必要だった。

榮子は夫の赴任先、ローマに同行し、フランス語や西洋のマナーなどを必死で
習得。
帰国後は鹿鳴館での外交にも力を注ぐ。

そして、赤十字の設立にも関わっていくのだけど
本当に、常に人のために動いている。
少々、無茶なこともするけれど、それは全てだれかを助けたいため。

磐梯山噴火のときの救護活動の場面も。
凄い人だな・・・とただただ感心。

ロシア革命の犠牲者である人々を助けるための行動もすごかった。

色々な困難には、夫の地位や権力が手助けになったのも大きい。



日清戦争のときの救護で新島八重と言葉を交わす場面は感動。


晩年まで本当に多くのひとのために生き抜いた。



植松さんの書は本当にいつも素晴らしい。





                      ★★★★★


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発行年月:2025年9月


戦後、連合国軍占領下の日本では米国兵士と日本人女性の間に生まれた子供たちが街中に捨てられ、悲惨な状況に追い込まれていることが社会問題となっていた。
 三菱創業者である岩崎弥太郎の孫娘で、外交官婦人でもあった沢田美喜は現状に心を痛め、女性たちが子供を託せる施設、エリザベス・サンダース・ホームの設立に乗り出す。
 資金繰り、世間からの差別の目、子供たちの行く末……様々な困難を乗り越え、千六百人近い子供たちを育て上げた女性の物語。

                 (PHP研究所HPより)



エリザベス・サンダース・ホームを設立した女性の話。
三菱財閥の創業者のひ孫・沢田美喜。
外交官の夫の赴任先だったロンドンで以前、親のない子達が大勢、笑顔で
暮らしていた施設<ドクター・バーナードス・ホーム>で週1回、
ボランティアとして働いた経験があった。


戦争は終わったけれど、実家の洋館はGHQに接収されてしまっていた。
そして、日本に来たアメリカ兵と日本人女性の子どもが捨てらていることに
胸を痛め、そういう子どもを養護する施設の必要性を強く感じた美喜。

幸い、実家の岩崎家で以前、奉公した八重が訪ねてきて夫が亡くなり
故郷に帰ろうと挨拶に寄ったという八重に養護施設を一緒に
手伝ってほしいと頼み、勉強し保育の資格を取り、美喜の片腕として働く。


外交官の夫や実家の父も美喜のやることに賛成し、尽力してくれて
施設<エリザベス・サンダース・ホーム>を造ることが出来る。
そして捨てられた子どもを預かるのだけど、想像するだけで目が回る
忙しさ。
アメリカ人との子どもという世間の偏見が想像以上に酷く
子どもが体調を崩しても医者さえも容易に診てくれないとは・・・。
百日咳に次々、子どもたちが感染し、7名が亡くなってしまった時は
なんとも辛かった。
そして、私立の小学校も開校<聖ステパノ学園>
戦死した三男の洗礼名から付けたそう。

天皇皇后両陛下がホームを訪れたことで少し、近所の見る目が変わるが
それでも金持ちの道楽とか売名行為などの批判も続く。

美喜たちは、そんな雑音にはめげず、子ども達のために尽くす。


彼らがホームを去って自立していかなければならない時期が来ても
まだまだ世間の目は冷たい。
なかなか、普通の日本人のような仕事には就けず大変そう。

美喜はそういう子どもたちを偏見が日本よりは少ないブラジルに呼び寄せる
ことを考え、ブラジルの開拓を試みるが、うまくいかずに終わったのかな?

本当に一生懸命、子どもたちの幸せのために奔走している様子はすごい。



終盤、子どもたちがどんな風に今、生活しているのかが出てきた。
みんな厳しい世間の偏見にも負けず、それぞれが踏ん張って生きていた。
悪い道に逸れた子もいたとは思うけれど、大切に育てて貰えた時が
あったということは忘れていないと信じたい。


美喜の最期はあっけなかった。
海外で仕事中に体調を崩して、そのまま亡くなったのだとか。
葬儀に駆けつけた人の数は凄かったと。


一人の女性として尊敬しかない人だった。



                       ★★★★★






発行年月:2020年1月

冬枯れの中、真っ先に咲く花とならん――
 新5,000円札の肖像で話題! 津田塾大学の創設者・津田梅子と、その父・津田仙の波瀾の生涯を描いた感動作。
 佐倉藩士として生まれた津田仙は、幕府通詞として福沢諭吉らとともにアメリカへ派遣されるなど将来を目されていたが、幕府瓦解後は西洋野菜の栽培などを手掛けながら、日本の農業の改革を志していた。自身の夢を託すべく、男子の誕生を待ち望むも、生まれたのは女の子で、仙は子供の名前も付けないほど落胆する。やがて、仙は開拓使長官・黒田清隆に呼び出され、出仕することに。そこで女子留学生を渡米させる計画を聞いた仙は、聡明さの片鱗を見せていた、わずか6歳の娘・梅子を推薦する。
 日本初の女子留学生として、最年少で渡米し、17歳で帰国した津田梅子だったが、すでに日本語を忘れており、日米の文化の違いや周囲との軋轢、そして父との葛藤に悩むことになる。
 山川捨松や伊藤博文らと交流を結びながら、苦闘の末、女子教育の先駆けとなった津田梅子と、その父の人生を描いた感動の歴史小説。

                    (PHP研究所HPより)



津田塾大学の創設者・津田梅子は、有名なので、多少、知っていましたが
その父親・津田 仙のことは、今回初めて知りました。

農業の発展のために尽くし、自らも留学経験を持ち、
その時、みたアメリカの農場を真似て、持ち帰った種からアスパラの栽培、
缶詰を作ることを試みる。

これからは、やはり女子も留学して多くを学ばなくてはと
まだ8歳の次女・梅を初の女子留学生として渡米させると決めたのも凄い
けれど、行くと決心した梅も凄い。
他のメンバーも後に、偉大な功績を残すことになる。

梅のほかには
・永井繁(11歳)
・山川捨松(12歳)
・上田悌(17歳)
・吉益亮(15歳)

10年間の留学予定であったが、上田悌は精神的に参ってしまい早くに帰国。
吉益亮は、視力を殆ど失い、帰国し手術を受ける。

それでも、上田悌も吉益亮も、帰国後は、それぞれ英語の勉強に励み
留学当時から皆で「女子教育のための」をモットーに学校で英語を教える立場に
なっていく。


捨松が「女性は誰かの妻にならないと何もできない」とかなり年上の
薩摩藩重鎮のひとり、大山巌と結婚したのも凄い。
3人の娘を遺し先妻は病死し、その後妻に。
でも、そのおかげもあって、後の梅子の学校創設には、力になって貰えるの
だから、捨松の先を読む力は見事。

梅は、生涯、女子教育の発展に力を注ぎ続けた人だったんだな~。
縁談も断って・・・


こういう人たちのおかげで日本の女子教育は進んできたんだなと
思うと、本当に偉人だわ~。
お札になって当然の人。


今回も読みごたえありました。
植松さんの作品は、勉強になります。



                    ★★★★★






発行年月:2021年8月


株で大損、妻を担保にアメリカへ……
 それでも、この男はすごかった!
 奇想天外なアイデアと並外れた行動力、そして内助の功と多彩な仲間たち――
 “別府観光の父”と呼ばれた男の、感動の生涯を描く力作長編。
 
 明治維新の五年前、伊予国(愛媛県)宇和島に生まれた油屋熊八は、大阪で経済記者をするかたわら株で大儲けし、一時は「油屋将軍」と呼ばれるほどだった。だが日清日露の戦争後に読みを誤り、財産を失う。妻のユキの助けもあり、熊八は再起を懸けてアメリカへ行くも、思うような成果は得られなかった。
 しかし四十八歳の時、大分県別府で宿屋を始めたときから、熊八の第二の人生がスタートする。
 これまで日本になかったような温泉観光地を――地元の反対、資金不足など、様々な困難に遭うも、「万事オーライ」の精神で乗り越え、仲間や妻とともに別府を日本一へと導くまでの奮闘を描いた感動の長編小説。

                   (PHP研究所HPより)




日本には、まだ知らない偉人が沢山、いるんだなぁ~。

主人公の油屋熊八のエネルギッシュな生き様は、豪快で面白いけれど
失敗もしてるし、こんな人が夫だったら、ハラハラドキドキ、気が休まるときが
ないだろうなぁ~。

奥さんのユキさんの寛大さには、頭が下がる。


終盤、70歳で若い女性との間に子どもまで作ったときには、
はぁ~?(怒)
それでもユキさんは、子どもの認知を認めてくれて、熊八が倒れたときも
離れて暮らす女性とその子どもを熊八に会わせ
なんと人間的に出来た人なんだろう。


熊八の偉業は素晴らしいけれど、奥さんの力を称えてあげたい!


別府温泉、行きたくなった!



                       ★★★



発行年月:2018年2月


 維新の礎を作った佐賀藩主・鍋島直正の生涯
 若くして佐賀藩主となった鍋島直正。財政難に苦しむ藩は城の火事に遭うが、それをきっかけに藩の改革に取り組む。長崎警備を任されていた佐賀藩は、外国船の進入が増え、中国がアヘン戦争でイギリスに敗れたことに危機感を覚えた。
 軍事力で負けないように、直正は最新の大砲や銃、西洋流の船の建造を藩で行うための人材を登用した。耐火煉瓦を作っての反射炉の建設、鉄の鋳造、大砲の製造と、いくつもの難関を乗り越え成し遂げられた。三重津には、藩独自の海軍学校を設けた。
 また、息子の淳一郎にいち早く種痘を受けさせ、普及をうながした。
 藩主を16歳の直大に譲って隠居した直正は、〈日本を外国列強の属国にしない〉〈幕府側と討幕派との内乱を回避する〉という思いを、諸大名や公家に伝えていった。最新の軍事力を誇る佐賀藩は、幕府側・倒幕派ともに頼りにされる存在だった。
 欧米諸国が日本に開国を迫り、攘夷を叫ぶ諸藩が戦火を交える中、体調を崩しながらも、直正は徳川慶喜との会見に臨む。
 江川坦庵、田中久重、島津斉彬、井伊直弼、勝海舟、江藤新平……。幕末の名だたる人物と交流し、明治維新の礎を作った鍋島直正を描いた長編小説。

                      (小学館HPより)




鍋島直正・・・・名前は何処かで聞いたことあるなぁ~くらい^^;

読んでみると、実に魅力的な人物だとわかった。
忠臣・松根との関係も主従関係とは少し違う絆を感じた。
直正という人の人柄でしょうね~。
最期の場面は、それをよく表していて、じ~んと来た。


幕末は、有名人が多くて、影に隠れてしまった感じだけど、
功績を考えたら、もっと世の中に知られるべき存在だと思う。

こういう人を大河ドラマで取り上げて欲しいな~。

植松さんは、功績は大きいのにあまり知られていない(わたしが無知なだけか?^^;)
を勉強させてくれる。


                       ★★★★
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